なぜ古文の授業があるのか

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こんにちは!

中学生以上になってくると授業に古文が入ってきますよね。

中学では歴史的仮名遣いから現代仮名遣いの直し方(あらはす→あらわす みたいな)と係り結びなどをやりました。

そして高校生になった今、古文の動詞の活用などをやっています。

難しく感じますが、活用は暗記すれば多分どうにかなります。自分で活用表作っちゃえば当てはめるだけなんでね。

それでもいざテストになったら普通に間違えそうです。

中学生から古文の授業を受けるたびに思うことがあります。

なぜ古文を学ぶ必要があるのか

思いません?

だって絶対将来使うことないじゃないですか。

「英語は海外に行かないから、外国人と話さないからいらない」とは言っても、どうしても外国人と話さなきゃいけない状況になるかもしれないので学ぶ理由は分かります。

でも、今古文を使って会話している人なんておそらく一人もいませんよね。

それでも授業で取り扱うし、高校受験、大学受験の科目にも入ってます。

そこが分からず、僕はやる気が出ません。

なので、調べてみました。

やはり、僕と同じように古文は生きていくうえで何にも役に立たない知識と考えられているようです。

それでも授業で学ぶのは、ただ単に(大学が)知性にあふれた学生を欲しがっているからだそうです。

学校で古文を学ぶことは学生の知性を測るための要素ということですね。

でもこれは古文だけとは言えません。 他の教科そうです。

また、「古文(古典)を学ぶことは日本の伝統や歴史をリスペクトすること」などもありました。

最初はリスペクトになんの意味があるんだと正直思っちゃいましたが、冷静に考えたら大事ですよね。

日本がはちゃめちゃになってしまう未来が見えます。

他にも「考えに幅や深みが出てくる」や「生きることに潤いを持たせるもの」などという考えもありました。

抽象的ですね。

結局何が正解かと言えば、場合分けをする必要がありそうです。

「なぜ”学校の授業で”、”受験で”古文があるのか」というに関しては、「知識、学力を測るため」になるでしょうか。

「なぜ”古文”を学ぶのか」という風になると、これには人の数だけ考えがありそうです。

僕は「なぜ古文を学ぶのか」というのに対してまだ答えはありません。ぶっちゃけこれからも無さそうです。

でも、今僕が学校で古文を学ばなければならない理由は分かりました。

やる気が少し出たので求められている学力に達せるように頑張ろうと思います。受験科目に使わないかもしれないけど(笑)

皆さんも「なぜ古文を学ぶのか(学んだのか)」考えてみてください。

読んでいただきありがとうございました!

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